リーダーが変わったのか?その他大勢が変わったのか?
昨日現代のリーダー像の話をしたが、
一般的な職業とは違う芸術家の場合どうなのだろうか?
何年か前なのだが、プロのチェリストの友人から聞いた話しだ。
ある日、白金で一緒にランチをしているときに、前から気になっていたことを聞いてみた。
「指揮者によってオーケストラが奏でる音楽は変わるのか?」
ということだ。
たまにオーケストラの音楽と指揮者が微妙にずれている印象を受ける時がある。
しかしそうだったとしても演奏は問題なく終るのだ。
実際メンバー全員が指揮者を見ていなくても、演奏は問題なく保たれていた経験がある。
彼の返事は、
彼の返事は、
「とても違うよ」
だった。
そこで、
「では、どんな指揮者が良い指揮者で、悪い指揮者なのか?」
を聞いてみた。
てっきり、
「とてつもなく音感が良くて、少しのテンポのずれにも気づくんだ、
音の微妙な差にも気づくしね」
というような、
芸術的な技術の優位性を挙げられるのかと思っていた。
しかし彼の返事は意外なものだった。
オーケストラに評価され、世間の評価も高い指揮者は
”とても腰が低い”そうだ。
しかし決して媚を売っているのとは違う。
そしてメンバーに明るく接し、褒めることと、感謝の気持ちを表すこと、を忘れない。
そしてメンバーに明るく接し、褒めることと、感謝の気持ちを表すこと、を忘れない。
練習会場に入ってくるときは、みんなに明るく気持ち良く”自ら”挨拶をし、
機会を見つけては一人一人に声を掛ける。
演奏が終わればみんなを褒め、感謝の意を述べる。
聞いていて、
”それって一般的に信頼されるサラリーマンの上司”と同じじゃないかと。
どうやら求められるリーダー像は、
サラリーマンだろうが指揮者だろうが、変わらないということだ。
では逆にオーケストラに嫌われる指揮者とは、
俺のやり方に従え!
みんなは俺について来ればいいんだ!
という、昔のリーダー像タイプの指揮者だそうだ。
下手をすると、オーケストラが指揮を全く無視して演奏する、ということもあるそうだ。
それもそれでプロとしていかがなものかと思うが、
ヨーロッパでは実際にそれが原因で某オーケストラから退任に追い込まれた指揮者もいる。
確かに最近音楽会に行くと指揮者は自分はさておき、
オーケストラに拍手がいくように促す人が多い。
自分よりオーケストラ、という姿勢が見える。
しかし昨日の話も今日のこの話もそうなのだが、
これは決してリーダーが変わったのではない。
リーダーの下にいる、その他大勢が変わっただけである。
直接的にいうと”その他大勢”に当たる人が、
もっと自分のことを尊重して!
褒めて!持ち上げて!!
じゃないと私あなたのいうこと聞かない!
という傾向になったということだろう。
リーダーは”その他大勢”を、
いかに動かすかが大事なのだから。
いつの時代も求められるのは、
”その他大勢”が求める、
時とともに変わりゆく、
ニーズに逐次合わせることができる、
賢いリーダー
ということなのだろう。